記事は山中(@yamachika0719)が担当。
山田進太郎(@suadd)
早稲田大学在学中に、早稲田リンクス代表、楽天株式会社にて楽オクの立上げなどを経験。卒業後2001年8月、ウノウ設立。2002年6月より雑誌定期購読エージェンシー「富士山マガジンサービス」に参画。その後、ウノウのサービスとして新作映画情報サイト「映画生活」(ぴあ社に譲渡)、写真共有サービス「フォト蔵」などの企画・開発・運営に関わる。2009年にウノウはソーシャルゲームに参入し、「まちつく!」をはじめとして複数のヒットタイトルをリリース。
2010年8月3日、ウノウ株式をZyngaに譲渡。
http://www.zynga.co.jp/
リーダー気質ではなかった
早稲田大学在学中、山田進太郎氏はWASEDA LINKSの代表を務めたという。
起業――経営者としてのリーダーシップの原点はここから生まれた。
「もともと中高生のころはリーダー気質ではなかった。むしろ、リーダーとかやりたいタイプじゃなかった。どちらかといえば、リーダーの参謀のほうが向いていると思っていました」
WASEDA LINKSは当時出来たばかりのサークル。フリーペーパーを配布したり、早稲田祭でもイベントを打つなど現在でも活気のあるサークルだ。氏は一年生の終わりの頃加入。その半年後先輩が引退することになり、代表に抜擢される。
「はじめは恐る恐るだったんですけど、やってみたら『意外に向いてるかも!』なんて思ったり(笑)。サークルという組織は、会社とは一味違う。会社は給料や生活がかかっているから、もっとストイックな組織。だけど、サークルは一緒にいて楽しいとか、勉強にならないととすぐに分解してしまう。そこに面白みがあると思って、僕自身も勉強になりました」
内定辞退
「僕は、大企業行くよりもベンチャーのほうが成功確率高いと思うんですよね」
ネット系にもともと興味を持っていた氏は、あえて大企業には就職しなかった。当時まだ社員20数名ほどで、駆け出しのベンチャーであった楽天に内定をもらう。2000年にジャスダック上場より以前の原点に氏は携わった。
「大企業に入るのも悪くないかなと思ったんですけど、大企業に入ると、何十年先までのレールが見えてしまって、面白くない。そして何より、優秀な同期と競争をしなければならない。高校時代、テストを頑張って『イケる!』って思った時でさえ、450人中120位程度だったから僕より頭がいい人や、プレゼン能力、身体能力が優れている人はたくさんいるんです。そんな人たちと大企業で競争しても勝てないだろうって思って……。でも、自分の会社やベンチャーならだったらそれほど競争相手がいない。だから、なんとかなると思ったのも大きいですね」
楽天では、新規Webサービスの事業に携わった山田氏。様々な事業を模索する中で、オークションの開設にかかわった。半年間という短い間だが、三木谷氏もプロジェクトに関わっており、学ぶところは多かったという。
「こんな人、こんなやり方がうまくいくんだなって身近で体感できました。何もわからないまま、ゼロから試行錯誤するより、まずベンチャーで経験を積めたのは、僕にとって貴重な財産だと思っています」
氏は楽天内定を辞退後、まずは得意とするプログラミングの技術でフリーとなって働く。
「大企業で昇進するほうが、難しいと思います。しかもある程度年齢を重ねないと幹部や社長にはなれない。猛烈な競争が何十年も待っているはず。でも、ベンチャーでちゃんとしたビジネスモデルを作れば、早くて数年で億万長者になることも。ならば、ベンチャーをなるべく早く起こしてやろうと思ったんです」
シリコンバレーに飛び立った理由
シリコンバレーはITビジネスの本場。そこでいかに太刀打ちできるか。氏は自らの目で確かめに行こうと決心する。
「もともと、アメリカに憧れがあって『とりあえずアメリカに行かなきゃ』って漠然と思っていました。シリコンバレーの舞台で、英語でサービスをつくってこそ、世界中で使われるモノができる。どうせなら世界で勝負したいと思っていました」
そして、フリーになって三年後、DV(抽選永住権)プログラムで、グリーンカード(=アメリカ永住権)を取得した。「自分の気が済むまで長くいたい」と思っていた山田氏は、インターネットビジネスの中心であるシリコンバレーにいざ渡った。
「行ってみると意外と日本と変わらない。でも、日本の都市とはちょっと違って、健康的にサイクリング・サーフィンしたり、自然がきれいなところが多いですね。僕は、友達と飲みとかクラブで夜遊びするほうが好きだったので戸惑うところが少しありました(笑)」
アメリカは、お店のほとんどがチェーン店で徹底的な効率化がなされている。日本のように、地方ならではの名産品がないのも特徴的だと氏は語る。
「アメリカで成功するためには、アメリカ人にならなくてはいけない。日本人的な感覚を捨てるか。日本にいて日本人であり続けるか――。アメリカに渡った経験は、今まで意識していなかった『日本』をより知る機会になりました」
将来、自分の子供には日本の良さを体で感じてほしい――
自分の中に染みついた日本人らしさを活かしてビジネスしていく道を選び、帰国する。
(文 山中@yamachika0719)
続きはこちら→失敗こそ成功への近道×山田進太郎氏(2)
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