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This article was written on 05 8月 2011, and is filled under インタビュー記事累計, 家入一真氏.

起業について×家入一真氏(3)


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起業について×家入一真氏(3)家入さんへのインタビュー第2回目です

今回は起業から上場までの道のりを伺いました。
前回のインタビュー記事はこちら→http://entrepreneursmind.net/?p=322

家入一真

1978年、福岡県生まれ。32歳
「株式会社partycompany Inc.」取締役会長 「株式会社ハイパーインターネッツ」代表取締役「株式会社paperboy&co.」創業者
2001年10月に株式会社「株式会社paperboy&co.」の前身にあたる「合資会社マダメ企画」を創業。
2008年12月にJASDAQ市場へ上場。
2011年1月株式会社ハイパーインターネッツ設立。代表取締役就任。
2011年6月2日 – マイクロ・パトロン・プラットフォーム「キャンプファイヤー」をリリース。
2011年クリエイターやスタートアップ起業家を支援するベンチャーキャピタル
「株式会社partyfactory」を設立予定。

著書:『こんな僕でも社長になれた』(ワニブックス)

ひきこもっていた五年間

「中学時代のはじめの方は、クラスを騒がせるような笑わせ役でしたね。一人の友達とコンビで盛り上げるといったような」

 

当時は明るくてクラスのリーダー格だったそうだ。


「しかし、中2のときにささいなことで彼と喧嘩をしてしまいました。それからは、周りの友達が彼の方についてしまい、僕はクラスで孤立。学校が楽しくなくなったので、気付けば不登校になっていました」

 

この時期から家に引きこもるようになった。引きこもっていた期間は約五年間。


「高校の合格祝いに父親にPCを買ってもらいました。外に出ないので、ずっとPCをいじっていました。今思えば、この時期にインターネットにどっぷりつかっていたことが今の生活の基盤を作っているのかもしれません」

 

現在、氏が携わっているのは基本的にはインターネットビジネス。学生時代にPCを扱っていたことが逆に武器になっている。


「小さい頃から絵が好きだったので芸大に入りたかったんです。それで予備校代を稼ぐために新聞配達のバイトを始めました。新聞配達は基本会話をしなくてもいいし、あまり干渉されないので当時の自分に合っていました。配達員との会話で徐々に慣らしていけたので、ひきこもりを抜け出すキッカケにもなりましたね」

 

最初に設立した会社「株式会社paperboy&co.」は新聞配達少年という意味。当時の家入氏を表している。


不登校時代が事業の基盤になった

「ひきこもっていた時代はやることがなかったので、デザインからプログラミングまで勉強しました。本を買ってきて、全部独学で」

 

プログラミング言語を使ってスクリーンセーバーやゲームを作っていたそうだ。

 

「どうしてネットなのかというと、油絵をやっていたからなんです。一見、つながっていないようにも見えるかもしれないですが、何かを作るという『表現』という観点から見ると両者は似ている。ただ、インターネットの方が凄い表現媒体だなと気付いたんです。だって、自分だけでなんでも表現できるじゃないですか」

 

氏はインターネットに触れて世界が変わった。自分の手でプログラムを書けば、デザインも、音楽も、ゲームも、HPも作ることができる。自己だけで表現できる媒体に面白さを感じ、ハマった。

 

「ハマっているときに、一度インターネットで質問してみたんです。どんな反応が返ってくるかわからないまま。すると、誰かから返事が返ってきたんです。そこで、PCの向こう側に間違いなく誰かがいるんだなって実感しました」

 

ネット上の人たちは普通に会話したり、自分の悩みに対して真剣に相談に乗ってくれたりした。

 

「当時、インターネットに出会わなかったら、もっと引きこもっていたかもしれない。ネットがコミュニケーションのツールだと気付けたのはその時ですね。当時の体験が間違いなく今に繋がっている」

 

起業を決意

部屋でずっとPCをいじる生活が続いていた。氏はそれで満足していた。しかし、大きな転機が訪れる。父親が事故で働けなくなったのだ。

 

「親が働けなくなったので就職しなきゃいけなくなりました。得意だったプログラムの知識を使って最初に就職したのはデザイン会社です。しかし、ここでは人間関係が上手くいかず半年で辞め、システム開発会社に転職しました。だけど、新しい会社でもやりたいことができたわけでもなかったです」

 

その頃、ネットで今の奥さんと知り合ったそうだ。やがて、結婚し、子供ができた。

 

「家族とずっと一緒にいてあげたいという思いもあったので、会社に務めるのをやめて起業しようと決意しました。当時は、別に『成功していいもん食わせてやる』という野望はなく、家族が食べられるくらい稼ぎたいという感じでしたね」

 

このとき作ったのがペパボ。氏が思っていたよりも順調に成長し、2008年12月19日にジャスダックに上場した。上場時の家入氏は29歳。当時のジャスダック市場においては最年少記録である。


上場までの道のり

「実は、上場しないほうがいいと言われることが多かった。でも、僕はあまのじゃくなので逆に上場してやろうと思ったんですよね(笑)」

 

上場しない方がいいと言われた理由は上場してしまうと面白さが失われるからだそうだ。

 

「さっきも言ったけど、最初は会社を大きくしたいという野望はなかった。しかし、やってるうちに楽しくなってきたんですよね。クレイアニメのように会社がどんどん変化していくのがね」

 

ぶつかり合って色や形が変化していくクレイアニメと、社員がどんどん入って会社が変わっていく様を重ねあわせていた。ここにも、氏の表現に対するこだわりが見え隠れする。


「上場したもう一つの理由はタイミング。時代ももちろんですが、売上規模、成長率、利益基調なども考えてのタイミングです。IPO件数もすごく減っているし、上場できるのなら起業家としてやってみたかった」

 

当時のIPO件数は約20社。その三年前には200社近くもあった。市場全体としては良いタイミングとは言えないが、ペパボとしては上場できるのに十分なタイミングであった。


「大変な面もありましたね。上場審査中は厳しくチェックされるので下手に事業とか展開できないんですよね。ほんと、キャバクラにも行けない(笑)。それと、機関投資家を訪問して回るロードショーっていうのが大変でした」

 

ロードショーとは、機関投資家に会社の事業をプレゼンして回り、出資を募る活動のことだ。


「これが二週間ほど続いた。朝六時から一日10社も回るんですよ。それに、機関投資家が鋭い目線を浴びせてくる中でプレゼンして質問に答えるんです。この2週間は神経がおかしくなりそうでした」

(文 両角@ryokado)

次回は家入氏が軸にしている「場所と表現」について語って下さいます。
また若者へのメッセージがあります!

続きはこちら→起業について×家入一真氏(4)

 

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